hirogoal’s blog

本と音楽とサッカーのことを書いています。

優しさがかえって人を殺すこともある〜 No Direction Home

Bob Dylanの”No Direction Home”の2枚目を鑑賞。ここではディランの音楽的な変化と、自身の自由を攻撃する周りの世界との戦いという二つの側面を描いている。
音楽的な変化とはディランが歌のイメージをより膨らませることができると判断し、フォークギター1本での演奏からエレクトリックなバンドをバックにした演奏へと変わる姿を。
彼を取り巻く世界との戦いとはディランが音楽界のスターから、アメリカの、世界の若者のスターへと持っていかされ、(売りやすく書きやすい)若者の意見を代弁するフォーク界のスーパースターというイメージを勝手に作らされたため、彼がそれに対して暴れる姿を描かれている。
とにかくブーイングを出すためにチケットを買い、ライブを見る観客が数多く描かれ、それにショックを受ける。映画の中の言葉を借りると「ディランそのものは好きなのに、彼のやってること(ロックを演奏する)は大嫌いだ」という観客ばかりなのである。そして、ニューポートフォークフェスティバルにおいては、尊敬するミュージシャンにも、斧でケーブルを切られそうになったりする。
インタビューを受けている映像では、あるインタビュアーの失礼な質問に逆質問し、実は彼がディランの曲を一度も聴いておらず、仕事だからインタビューしていると言わせたり、イメージに対する質問に対し、インタビュアー(女性)が語っているイメージとは、実は彼女が読んだ映画雑誌に書いてあることだと言わせたりしていて面白い。こういう状況は今も昔も変わらないのだなと感心したりして。


作り出した(売るための)ものとディランとの差。あるライブハウスでフォーク音楽好きの素人バンドの演奏を何度か聴いたことがある。彼らが大好きなピーター・ポール・&マリーが、実はフォークブームに便乗して当時のコロンビアレコードが作り出した不健全な(笑)グループだってことが1枚目のDVDで説明されている。この2枚目において彼らは世代を代表するグループとなり、ジョーンバエズとディランと合わせフォーク界のスターに祭り上げられている。
ニューポートフォークフェスティバルにおいてはピーターが司会を務めており、そこでディランが爆音演奏をして、ブーイングの嵐、すぐにステージを降り、ピーターが慌てふためく姿もさりげなく描かれる。ウソはもろい。まるで映画だ(笑)。


「優しさがかえって人を殺すこともある」と自身に向けられたブーイング、非難に対し、冷静に分析をするディラン。彼はこの映画で描かれたブーイング渦巻くヨーロッパツアーのあと、バイク事故を起こして活動を停止する。復帰後レコードは作るものの、ツアーは8年間行わなかった。自身の最高の演奏はレコードにはない、ライブにあると語る彼が、である。
これを見たあと、思い出したのは中田ヒデのこと。今では広告代理店がこういった状況、心境、戦いをすべて演出しているように思える。
今は天才が生まれにくく、その生の姿を我々が見ることが難しい時代。こういったDVDは何枚も作られないと思うが、真実とは何かというヒントを与えてくれることには違いない。あ〜あ。
ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム [DVD]