hirogoal’s blog

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シャメ・ジェンチ --トリオ・エレトリコ物語

昨日は東京日仏学院飯田橋から歩いて10分)で行われている『ブラジル映画祭』*1へ行ってきた。この日の晩に上映されていたのは長編ドキュメンタリー"シャメ・ジェンチ --トリオ・エレトリコ物語"という映画。ブラジル北部バイーア州のカーニバルで生まれた(祭りの山車でもある)音響装置付きの大型トラック、トリオ・エレトリコの歴史を通じてバイーア州サルバトールでのカーニバルの変遷を描いた映画だ。
事前の勉強不足のため分からない固有名詞も多く、初めは取っつきにくかった。しかし次第にそんなことはどうでもよくなる。半端ではないカーニバルの熱狂の姿が僕を画面に釘付けにさせたのである。
途中カエターノ・ヴェローゾリオのカーニバルも良いが、サルバトールのほうがもっと凄いと語るように、ブラジル最強のカーニバルの姿が次々と画面に映し出される。実はこれが映画最大の見どころ。最古の映像と思われる60年代から最近のものまで見ることができるが、どの年を見ても画面に向かって口をぽかーんと開けてしまうこと必至。トリオ・エレトリコの車上で演奏するカエターノ、ジルベルト・ジルたちの顔も高揚しており、この祭りがとんでもないものだということがよく分かる。
当然その歴史の中にはさまざまな変換期がある。ジミヘンの影響でロック的になった時代(カエターノが当時のことを「ロックンロール」ではなく「ホッケンホール」と語るのを聞き、「ホナウジーニョ」ありねって思ったり(笑))、人種間の音楽性の隔たりが発露した時代(サンバ的、アフリカ的)、階級の差がもたらす喧嘩多発の時代があったり。しかしいずれも楽曲の内容で乗り越えていく、と語られていたのが興味深かった。
最近は、お金持ちのためにトリオ・エレトリコの周りをロープで囲み安全に踊れる特等席を作る、ということが行われているらしい。まるで祇園祭。しかしカーニバルに関わる人たちがロープをなくそうとする姿も描かれている。
これは庶民のための祭りなのだ、と語るように上空から撮影した夜のカーニバルの姿を映しながら映画は終わる。トリオ・エレトリコのあとを何キロも人々が連なる姿を映しながら。