hirogoal’s blog

本と音楽とサッカーのことを書いています。

ジョアン・ジルベルト来日公演〜スーツの下はパジャマだったのか

会場に向かう前に自宅でルイ・カストロの書いた『パジャマを着た神様』を読み、ジョアンが90年代をどう生きて行ったかを知った(この本はかなり前に買ったのだが、途中までしか読んでなかったので「ジョアン」と題された章までたどり着かないままだったのだ)。これが今晩の演奏を聴き、理解するのに役立った。


一見、天才ならではの生活を垣間見た気になる。たとえばホテル暮らしの彼は食事を取るのにも、玄関先で顔を出さず、ドアをチラッと開け、手をスッと出し、給仕役の人間から皿を受け取るだけだった、というふうに人と会うのを異常なまでに避ける面、または友人と車で海に行ったときには、彼が瞑想にふけると周りの人たちの存在をすっかり忘れてしまい、いつの間にか1人で車を運転して先に帰ってしまうため車が2台が必要だった、とか、芸術家(=訳の分からない変人)ならではの面に納得しがちである。それがあの個性的な演奏に結びつくのだというふうに。


しかしこの本ではもう一方のジョアンの姿も描かれている。ホテルでは何十着もあるパジャマを着て1年中過ごしているのだが、電話好きで、素顔を見せる人たちにはジョークを交えて極端な長話をしたり、受話器を傍に置いて電話口で演奏を聴かせたりしていたそうだし、ブラジルサッカー好きの彼はギターを弾きながらテレビ中継を見ていて、パスミスの際には不協和音を出していたらしい。そういった可笑しく、非常に人間的な面も持っているということを教えてくれる。


ライブ前には、今日の日記でジョアンとカエターノの『Ce』との関係を書こうとしていた。『Ce』はブラジル音楽の大御所というイメージを覆し、カエターノがロックしているアルバムなのだが、その内容はCanのアルバムや、ルー・リードの曲でギタリストのロバート・クインを前面に出した曲によく似ている。その機械的な気持ちよさはジョアンの演奏と共通するという内容である。
しかし、今晩の演奏はその予想とあまりにも違っていた。パジャマで不協和音を出したり、気持ちよく長電話をするジョアンが目の前にいたのである。
初めは上手く演奏ができずドタバタしている印象であったが、次第にペースをつかみ、その感情のこもった演奏に引き込まれていった。その抑揚の激しさには感動するというより驚いた。クールな機械的な演奏ではなく、最近のボブ・ディラン的というか、気持ちでアレンジが変わる一人オーケストラ的な面が以前より目立つものだったのだ。


日本の観衆が素のジョアンを表に出させた。


75歳で、このジャンルのパイオニアであるミュージシャンがすることではない。なんだろうこれは。この天才まだまだ奥が深い。僕が書くにはまだまだ早すぎるか。

ボサノヴァの歴史外伝 パジャマを着た神様

ボサノヴァの歴史外伝 パジャマを着た神様